歴史
関ヶ原の戦いの後、毛利家の家臣であった吉川広家が築城した。山城本丸に築かれた四重六階の天守は南蛮造(下の階に対して上の階の方が出っぱっている構造)という特異な形式だった。しかし、完成からわずか7年後に、一国一城令によりほとんどが破却された。実は、壊す必要はなかったのだが、幕府に気を使い壊された。現在ある天守は、本来の場所から50Mずらして復元された。
観光スポット
大釣井(おおつるい)
大釣井という井戸。武器や弾薬を収納、また脱出口を兼ねていたと言われている。
錦帯橋(きんたいきょう)
日本三代橋、また日本三代奇橋の一つ。僕がここを通った時は見にくい段差があったので、段差に注意して歩こう。
天守からの眺め
見晴らしがよく、錦帯橋や岩国空港など岩国の街並みがよく見える。
旧天守台
破壊された天守台の下部4分の1の古式穴太積(野面積を得意とする穴太衆と呼ばれる集団によって作られた石垣)を発掘し、それをもとに復元された。
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